曽谷貝塚
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東西210メートル、南北240メートルという大きな規模をもち、単独の馬蹄形貝塚としては日本でも最大級の広さがある貝塚です。緩やかに傾斜する台地上にあり、現在は住宅と畑、そして広場が広がっています。貝塚は窪んだ中央部の周囲に形成され、竪穴住居跡も窪地周辺の土手上の高まりから外側にかけて発見されていることから、集落としての大きな広がりを想像できます。
貝塚が形成されたのは約4000年前から3000年前の縄文時代後期です。明治以後に何度も発掘されていますが、昭和37年の遺跡横断調査では多くの出土物や発見がありました。ハマグリを主体とする貝層、土偶、堀之内I式土器、加曽利BI式土器、堀之内I期・II期の住居址、埋葬用と考えられる堀之内I式の大型甕形土器、そして伸展葬や屈葬の埋葬人骨等です。これらのことから、貝塚は継続的に営まれたものと思われます。
また、昭和49年から53年にかけて市川市教育委員会でも本格的な調査を行い、多大な成果を挙げています。